これから先についての考え
自分は今建築学生をやっているんですけど、いったい何が楽しいのかわからなくなってきたんですよね。
本日、就職についての面談があったのでこのような文章を書いております。
何を言われるかわからなかったので緊張して臨んだのですが、教授は意外にも物腰柔らかで安心していたのです。
しかし、フランクな話し合いではなかったようで、初っ端で腕組むのはやめなさい、ちゃんとした日本語で話しなさいと言われてしまいました。
面接練習をしていないため、なかなかちゃんとすることができないこと実感しました。とりあえず、面接の練習をしなければなりませんね。
将来について自分はどのように考えているのでしょう。
なんだか、自分のことが自分で分からなくなってきたのです。
自己分析が足りないのか、企業・業界研究が足りないのか、とにかく、考えが足りないことが今日で浮き彫りになってしまいました。
現時点で、エンジニアプラントとゼネコンへの就職を希望していたのですが、それはただ合理的な考えに基づいて設計や思考をすることができるからです。
構造に興味があるのですが意匠にも興味はあります。
でも最近意匠が嫌になってきました。
なぜ、それが必要なのかわからないのです。
箱のような建築を批判するように、自然と人間の共存を謳い、人工物然としたものの批判を始める。
みんな一時期は箱のような建築をたたえていたのに。
きっとそのうち自然を目指した有機的な建築は使いにくいとか何かと批判されてしまうのでしょう。
そんなことを考えていると、どうしても意匠関係に行く気が薄れてくるんですよねー。
もちろん意匠の道がそれだけではないことはわかっていますが。
正解が欲しいのかもしれないですね。
今までそう育てられてきた結果としてそうなってしまったのでしょう。
創造的な仕事って何だろうな。
何かに挑戦するときの心構え入門
どうも忙しいことを理由にやりたいことを遠ざけている人間代表のとむです。
僕はやりたいことが常にたくさんある状態なんですけど、大学の課題に終われていたり、今日は頑張ったからとか言ったりしながら、なんだかんだで何もしない日々を過ごしています。
このままではだめだろうとは思っているけれど、なかなか一歩踏み出せない。そんな僕みたいな人が大多数なんじゃないでしょうか。
僕みたいな普通の人間はどうやら知らず知らずのうちに踏み出すことの価値を上げているのかもしれません。
一歩踏み出すために必要なこととは何か。それは一歩のハードルを下げること。
まなぶさんという人がこのような趣旨のことを言っています。(マナブさんは『挑戦の細分化』と表現しています。)
今回このことを書いておこうと思ったのは、まなぶさんというブロガー兼youtuberのような人のこの言葉について思うところがあったからです。出だしでも言ったように僕自身がとても一歩を踏み出すことが苦手な人間です。やりたいことを抱えて何もせずにタスクをこなす日々。そんな世界の住人です。
だからこそ、まなぶさんの「行動している人は少ない」、「途中で挫折している」という言葉が刺さったのでしょうね。
まあ、まなぶさん一人が言っていることならば、成功しているといえどサンプル数1の意見など信用できないと思っていたと思います。しかし、この挑戦の細分化、非常に理にかなっているのです。「多動力」のホリエモンや「メモの魔力」の前田裕二さんなどほかにも多くの成功者が、まずは行動することの大切さを説いています。行動することの大切さは自明であるといっても過言ではありません。しかし、私は行動することができないでいます。私の場合ですが、成功者の思想に触れたあとの一瞬熱が上がり、頑張ろうという気になります。しかし、10分後には冷めてスマホをいじっているでしょう。
なぜわたしは踏み出すことができないでいるのか。それはきっと挑戦するには完璧でなくてはいけないと思っているからです。マナブさんの表現をお借りすると「準備の段階が多すぎて、挫折してしまう」のです。
この挫折を避けるための方法が『挑戦の細分化』です。これは非常に理にかなっていて、心理学的なテクニックの一つとしても知られています。人間の脳は具体的に計画すると、手を付けるまでの期間が短くなり、抽象的な目標をもつとモチベーションが続きやすくなるという研究結果が存在します。挑戦の細分化はこの計画を具体的に立てるという部分に該当します。
挑戦を細分化して、行動を起こし、大きな夢を持ってモチベーションを保っていきましょうかね。
やっぱり日記を書きたいなと思う件について
今、刈谷剛彦さんの『知的複眼思考法』を読んでいた。そこでなるほどと思ったのが著者の立場で本を読むということ。自分が書いているつもりで本を読むことで気になる節で立ち止まって考えるくせがつくということが書かれていた。色々な本を読んできたが、確かにここの表現ダメじゃない?とか考えながら読むようになってから身につくことが増えた気がする。じゃあそういうふうに気にしながら読もうと思った時、一番著者の立場になることが出来る状態は自分が著者になることだと考えた。日記という本とは異なるジャンルであり、拙いものだが、少しずつ思考や文章力を磨くことを目標に書いていこう。あと、単純に日記見直すの楽しいし。